デス・オーバチュア
第61話「悪魔の微笑」




「諸刃の剣とは良く言ったものだな……」
女は自らの左手の人差し指を見つめながら呟いた。
赤い血が……僅かな傷ができている。
「静寂の夜と無垢なる黎明の合わせ技とも言える一撃ですら滅ぼしきれなかった『イェソド・ジブリール』が……あっさりと完全破壊されるとはな……流石は滅魔の十字架……と言ったところか……」
女は指先の血を舌で妖艶に舐めとった。
あの十字架の変じた十字剣の恐ろしさは切れ味や破壊力ではない。
あらゆる魔を滅する、浄化の力。
その力の前には、魔属……魔の性質を持つ存在である魔族や悪魔は抗うことは決してできないのだ。
特に、強く高位な魔族や悪魔……魔の質の高い存在程、その効果は絶大である。
「自らを滅する可能性持つ唯一の剣を……自らの牙として行使する……自虐趣味……いや、自傷趣味と破滅願望?……何れにしろ、まともな神経の者には使えぬよ……」
剣を握り、振り続けるだけでも……剣を使うのをやめない限り、剣の滅魔の力で自身を滅ぼすことになるだろう。
「怖い怖い……私なら絶対に使いたくない剣だ」
そう言いながらも、女は口元に楽しげな笑みを浮かべていた。
自虐や自傷の快楽、破滅への抗いがたい誘惑といった……歪みきった悦楽は解らなくはない。
いや、寧ろ、女もそういったものはかなり好きだった。
「だが、私は他者を傷つけ、弄ぶ方が良い……」
その方が損害が無いし、楽だから。
「さて……夜までどうやって暇を潰すかな……」
女は無聊の慰め方を思索することに耽ることで、無聊を慰めることにした。





紅蓮魔郷(ぐれんまきょう)。
血よりも赤く、炎よりも紅く、空も大地も全てが赤く染め尽くされた都。
その都の中にあって、さらに一際深く、激しく、どこまでも赤く輝く城に住むのは暁の王。
純粋なる悪にして、魔の極限、全ての悪魔と堕天使の上に君臨する唯一人の存在。
そんな存在の居城である紅魔城(こうまでん)をタナトスは一人彷徨っていた。


「……考えるまでもなく外れだ……ここは地上じゃない」
赤く透き通る窓から覗く空は見事に真っ赤だ。
窓が赤いから赤く見えるのではなく、紛れもなく空も血の色なのである。
「それにしても……なんなんだここは……気が変になりそうだ……」
赤、紅、朱……全てが血と炎の色で作られた宮殿……いや、この都そのものが赤だけで作られていた。
「赤い空に赤い大地……それだけでも気が狂いそうなのに……この城の悪趣味なこと……絶対、この城の持ち主は異常だ……」
こんな城に……いや、こんな世界に長居はしたくない。
「さっさとリセットを見つけて……」
この世界から去りたかった。



「もう〜、タナトスったらホントに迷子になるのが好きなんだから〜」
リセットは子連れで、タナトスを探して紅魔殿を歩き回っていた。
「……けど、なんでよりによって悪魔界なんかに繋がるのよ……どういう『縁』をしてるんだか、タナトスも……」
「…………」
僅かに紫がかった白髪に石榴石の瞳をした修道服の幼い少女は、リセットに手を引かれるままに、無言で歩いている。
「……普通来たくてもそうそう来られる世界じゃないんだけどね……」
星界から転移して最初に出た場所は悪魔界の『壁』だった。
悪魔界という世界そのものにかけられている他の世界からの無許可の侵入を防ぐフィルターのような結界……その壁にぶつかって貫いた際の衝撃で、タナトスとは離ればなれになってしまったのである。
「別にあんたとははぐれても良かったのにね……そうすれば堂々と置き去りにする理由ができたのに、残念ね〜」
リセットは意地悪そうな表情で、幼い少女にそう言ったが、少女はリセットの本気なのか冗談なのか解らないその発言にまったくの無反応だった。
それがまたリセットには面白くない。
「むぅ……ホントつまらないチビガキね、あんた。少しは慌てるなり、動揺するなりしなさいよ! 『お姉ちゃん、わたしを見捨てないで!』とか素直に可愛くすがってくれば……私だってもう少し優しく接してあげなくも……て、完全無視!? ああ、ちょっと、引っ張らないでよ! 何よ、何なの!?」
「…………」
少女は無言で、リセットを自分の行きたい方向に引っ張っていこうとするが、リセットの方が力が強いのでそれができないでいた。
『まるで、犬の散歩ですね』
「そうよ、私はあんたの散歩につきあう暇は……て? あれ?」
今、誰が口を挟んだ?
少女ではない、少女は相変わらず無言で、リセットをせかすようにうんしょうんしょと可愛らしく……本人的には必死に引っ張っているだけだ。
『存在の次元のズレている私達が見えるはずがないのにですか?』
「…………ん」
少女がリセットの背後を指差す。
「えっ?」
リセットは背後を振り返ったが、そこには誰も居なかった。
「ちょ……」
『ちょっと誰も居ないじゃないのよ!……ですか?』
「なっ?」
やはり声だけがリセットの耳に響いてくる。
「……あんた、誰よ? 姿を見せなさいよ!」
『居る』ということを確信したリセットが声を上げた。
「姿を見せろも何も……私はずっとあなたの真後ろに居るんですけど?」
「なっ!」
リセットは物凄い速さで背後を振り返る。
「どうも、初めまして」
確かに、背後にその人物は居た。
色白の卵形の顔、赤みがかったブロンドと、晴れやかな美貌。
十七歳ぐらいの少女がアルカイックスマイルを浮かべながらペコリと頭を下げた。
「……で、あんた、誰よ?」
「誰も何も悪魔に決まっているじゃないですか。ここは悪魔王の城ですよ、そんなことも解らないなんて、馬鹿ですか、貴方は?」
少女はアルカイックスマイルを浮かべたままさらりと言う。
アルカイック-スマイル……彫刻のように芸術的な微笑がとてつもなく嫌みにリセットには感じられた。
「そうじゃなくて、名前と……」
「ああ、名前や肩書きを聞きたいのですか」
少女はリセットの台詞を先回りしたのように、最後まで言わせずに答える。
「アィーアツブス・リシャオース・ リリス・ナカシエルと申します……メアリーとでもお呼びください 」
「ちょっと待ちなさい、どこにメアリーなんて名前が入っているのよ!? それともその長ったらしい名前を略すとメアリーとでもなるわけ!?」
「おや、気づきましたか?」
「普通気づくわよ、馬鹿! えっと、アィ……なんだっけ?」
「ほら、呼びにくい名前でしょう? だから、『メアリー』という、私と同格の九人と悪魔王だけが呼ぶことを許される名を呼ばせてあげます、感謝してくださいね」
「それはどうも……」
どうもこのメアリーという少女は得体が知れなかった。
強い力は感じない。
悪魔界の中心地、悪魔王の側に仕える悪魔とはとうてい思えない程、目の前の少女から感じる悪魔の『力』は微弱だった。
しかし、それでいながら目の前の少女には妙な余裕というか、底知れなさを感じる。
「……あら? 野暮用ができました、少しそのままで待っていてください」
メアリーがそう言うと同時に、彼女の背後に一つの存在が生まれる。
背中にコウモリの羽を生やした巨体の黒い男。
人間が一般的に想像する『悪魔』そのものの異形の化け物がそこに立っていた。
「何独り言をぶつぶつ言ってやがる、アィーアツブス?」
どうやら、この男……悪魔にはリセット達の姿は見えていないようである。
「何か、私に用? えっと……なんてお名前でしたっけ、貴方?」
「覚えてないだと!? ふざけやがって……まあいい。どうせ、お前は今すぐ消滅するんだからな」
男はニヤリと嫌らしく笑った。
「まあ一応私を消したい理由を聞いておきましょうか? 聞くまでない気もしますが……」メアリーはアルカイックスマイルを浮かべたまま、小さく息を吐く。
「決まってるだろう! お前みたいな脆弱な悪魔が……いや、純粋な悪魔ですらない人間臭いお前がクリフォト……悪魔王様の側近なのが気にくわないんだよ! 力も爵位も何も無いお前が! ポッと出のお前が、先代の悪魔王様の時代から気の遠くなる年月を仕え続けてきた俺達の上に立つなど許せるわけがあるまい!」
男の両手に巨大すぎる鉄槌が出現する。
男は鉄槌を大きく振りかぶった。
「やはりそんなところですか、やれやれですね。別に嫉妬も悪徳……悪魔の美徳の一つではありますが……あまりにもせこくてみみちくてありきたりで、仮にも紅蓮魔郷に住むことを許される高位な悪魔が持つ感情としては些かどうかと思いますよ」
メアリーは微笑は解らずに哀れむような瞳で相手を見つめながら、わざとらしく肩を竦めたり、嘆息して見せる。
その態とらしい仕草がまた嫌みな程絵になっていて、美しかった。
「てめぇぇっ!」
男は迷わず鉄槌をメアリーに向かって振り下ろす。
小柄な少女にしか過ぎないメアリーなど一撃で跡形もなく粉砕されるであろう一撃だった。
無論、メアリーが外見通りの小柄なただの少女ならの話だが……。
「品の無い……高位の悪魔なら、貴様とかそなたとか、態とらしかろうが上品で高慢な口調を忘れずに……それが様式美というものです!」
鉄槌がメアリーをすり抜けて床に叩きつけられた。
凄まじい轟音と衝撃が響く。
「ぐっ!?」
「どこを狙っているんですか? 頭の悪い御方は目も悪いんですか?」
メアリーは床にめり込む鉄槌の横に立っていた。
つまり、鉄槌は人一人分横にずれて誤爆したのである。
「てめえっ!」
男は再び鉄槌を振りかぶり、そして振り下ろした。
だが、やはり鉄槌は先程と同じようにメアリーの真横に誤爆する。
「ああああああああっ!?」
男は連続で鉄槌の攻撃を繰り返した。
しかし、鉄槌は絶対にメアリーに直撃しない。
メアリーの周りの床を無惨に破壊し続けるだけだった。
「ちょろちょろと避けるんじゃねえっ! この覗き魔野郎がっ!」
男は渾身の一撃を放とうと、今までで一番大きく鉄槌を振りかぶる。
「くたばれ! この愛人野郎……ああっ!?」
けれど、男が鉄槌を振り下ろすよりも速く、メアリーの姿が男の視界から唐突に消滅した。
「そう私は弱い……私の特異能力はただ他者の心を読み取る……そんなささやかな力でしかない」
声は男の背後から、メアリーはいつのまにか男の背後に移動している。
シュッ、バシィンと言った音と共にメアリーの左手では小さな円盤のような物が解き放たれ、再び掌に戻るという運動を繰り返していた。
「……ヨーヨー?」
リセットが呟く。
リセットの声は、リセットの存在を関知できていない男には聞こえていなかった。
「けれど、それで充分なんです……」
いや、関知できていたとしても男はリセットの声を聞けなかっただろう。
「殺しには、化け物じみた腕力や体力も必要ない。必要最低限の技術と、技術を生かし切る経験さえあればいい」
男の巨体が床に倒れ込んだ。
男の左胸には拳ぐらいの大きさの風穴が空いており、男の首は胴体から微かに切り離されている。
「別に滅ぼしはしません。ただ五月蠅いのでしばらく死んでいてください」
メアリーの赤いヨーヨーが掌に戻る度に、赤い液体が微かに飛び散っていた。
すでに死んでいる男にリセットの声を聞き取れるわけがない。
「……さて、お待たせしましたね」
メアリーは死んでいる男の後頭部を踏みつけながら、リセットに向き直った。
何事も無かったように爽やかに……。
メアリーの表情は相変わらずのアルカイックスマイルだった。


















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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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